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かけしんと報徳

掛川信用金庫の沿革

二宮尊徳の弟子の岡田良一郎が地域振興を目的として1879年(明治12年)に設立した勧業資金積立組合が掛川信用金庫の前身です。

 
1879年 (明治12年) 11月24日  勧業資金積立組合「資産金貸付所」を設立
1892年 (明治25年) 8月  「掛川信用組合」に改組
1901年 (明治34年) 7月  産業組合法による「有限責任掛川信用組合」に改組
1936年 (昭和11年) 1月  「保証責任掛川信用組合」に改組
1950年 (昭和25年) 3月  中小企業等協同組合法施行に伴い「掛川信用協同組合」に改組
1952年 (昭和27年) 3月  信用金庫法施行に伴い「掛川信用金庫」に改組

岡田良一郎(淡山翁)

 二宮尊徳の四大門人の一人
 天保10年10月21日(1839年11月26日)〜大正4年(1915年)1月1日

  佐野郡倉真村(現在の掛川市倉真)の惣庄屋を務める岡田佐平治と貞の長男として天保10年に生まれました。佐平治は乙星耕地報徳社(現在の倉真報徳社)を立ち上げ、安居院義道庄七の仲介で二宮尊徳と会い、報徳思想を学びました。尊徳から直接伝授された報徳仕法「農村復興・財政立て直し」のやり方を基に、遠州地方に報徳運動を推し進めました。尊徳と報徳思想に深い感銘を受けた佐平治は、尊徳に許可をもらい、良一郎(当時16歳)を栃木県日光にあった二宮塾に入門させました。良一郎は尊徳から「遠州の小僧」と可愛がられ、直接に教えを受け、実践を通じての報徳思想・報徳仕法を身につけて掛川に帰郷しました。そして父佐平治とともに、遠江(現在の静岡県西部)の報徳運動の指導にあたりました。このため倉真地区は報徳社活動の一大拠点となりました。 明治8年(1875年)に遠江国報徳社が浜松に設立されると、佐平治、次いで良一郎が社長に就任し報徳運動に尽力しました。
 良一郎は、佐野・城東郡長、県会議員、衆議院議員(当選2回)など政治家として活躍するほか、教育面では自邸内に私塾冀北学舎を設け、自ら指導にあたりました。また、明治13年(1880年)に掛川中学校(現在の掛川西高等学校)が設置されると、学校長を務めました(現在でも掛川西高等学校には冀北会館の名が残っています)。
明治11年(1878年)掛川農学社を創立して、地域の農業技術の普及に尽くし、更に全国初の信用組合『掛川信用組合』を創設しました。
 明治時代の後半、地域振興を図る地方改良運動が国内各地で展開されると、報徳思想への期待が高まり、尊徳の顕彰、報徳運動が全国に広がりました。静岡県は全国の報徳運動の中心となり、特に掛川に本拠地を移した遠江国報徳社がまとめ役的な存在であったため明治44年(1911年)、遠江国報徳社は大日本報徳社と改称され、全国の5百余の報徳社が参加に加わって、名実ともに掛川が報徳運動の中核となりました。
 良一郎の長男・良平と二男・一木喜徳郎は、ともに冀北学舎で学び、のちに文部大臣などを務めました。
岡田良一郎
岡田良一郎像(掛川信用金庫)

掛川信用組合(掛川信用金庫)設立

 岡田良一郎は報徳社を大いに発展させる一方、明治7年(1874年)事業育成や農業、工業などの産業奨励のために、半官半民の「資産金貸附所」を創設し、岡田家家訓「雲仍遺範(うんじょういはん)」※1による岡田家推譲(すいじょう)※2の報徳金やほかの推譲金を資産金にして貸し付けを始めました。明治12年(1879年)佐野城東郡(現在の掛川市と菊川市の南部)の郡長に命じられたのを機に、産業発展を推進するため、資産金貸附所の実力を倍加することを目的として、別に勧業資金積立の組合を作って事業を始めました。これが掛川信用金庫の創始です。
 明治25年(1892年)掛川信用組合に改組しましたが、これは日本最初の信用組合で、静岡県はわが国産業組合の発祥の地となりました。良一郎はかねて報徳社の教義、特に庶民の金融機関としての講の仕法から信用組合の創設に理解を持っていましたが、たまたま当時の内務大臣品川弥二郎、法制局長官平田東助がドイツの協同組合をわが国に取り入れようとする意図を持っていたことから、福住正兄らとこれを研究、これが信用組合法案の立案となりました。しかし、明治24年(1891年)この法案は議会解散のため通過しませんでした。このため、良一郎は法的裏付けを待たず自ら翌年掛川信用組合を設立し、のちに産業組合法制定の端緒を開きました。
 ※1 雲仍遺範:雲仍とは子孫のことで、遺範は子孫に残す家訓のこと
 ※2 推譲:分度のある生活をして、余財を蓄え、家族、子孫、社会に譲る

掛川信用金庫の庫是


道徳を根とし 仁義を幹とし 公利を花とし 私利を実とす

 掛川信用金庫の庫是である “道徳を根とし 仁義を幹とし 公利を花とし 私利を実とす” は創始者、岡田良一郎が明治45年に掛川信用組合長職を辞する際に残した言葉です。これは「道徳(人として守るべきこと)、仁義(人が定めた法律、規則、規律等)を根幹として公利(地域社会、会員等の利益)を優先し私利(金庫、役職員の利益)は結果である」という考えです。

今まく木の実 後の大樹ぞ

    昔蒔く木の実(このみ)大樹(おほき)になりにける
          今蒔く木の実後は大樹よ
(二宮尊徳『道歌集』より)

              今まく木の実 後の大樹ぞ掛川信用金庫本店営業部石碑

 本店営業部にある石碑には ”今まく木の実 後の大樹ぞ” とあります。これは二宮尊徳の「大きな目標に向かって行動を起こすとしても、小さなことから怠らず、慎ましく努めなければならない」という意味を込めた言葉です。報徳思想の一つ『勤労』の積小為大に代表される考え方です。

報徳の教え「四つの柱」

報徳の思想を形成する四つの柱は「至誠」「勤労」「分度」「推譲」という言葉で表されています。

至誠

すべてのものに良い結果を与える理念として、「まごころをもって事にあたる」ことを尊徳は教えています。
「人に対して才知や弁舌は有効かもしれないが、鳥獣や草木を説くことはできない。至誠と実行は米麦、野菜、うり、なす、草木にまで繁栄をおよぼす重要な教えである。」と説いています。

勤労

 「勤労」は「積小為大(せきしょういだい)」という言葉に代表される考え方です。
大きな目標に向かって行動を起こすとしても、小さなことから怠らず、つつましく努めなければならないということです。
「今まく木の実、後の大木ぞ」という尊徳の有名な言葉が残されています。

積小為大掛川信用金庫連雀支店石碑

分度

「分度」とは、適量・適度のことです。
「分度をしっかり定めないままだから困窮してしまうし、暮らし向きも楽にならない。家計でも、仕事でも、現状の自分にとってどう生き、どう行うべきかを、知るということが大切だ」という教えです。

推譲

「推譲」とは、肉親・知己・郷土・国のため、あらゆる方面において、譲る心を持つべきであるという考えです。
分度をわきまえ、少しでも他者に譲れば、周囲も自分も豊かになるという教えです。



※このページは掛川信用金庫資料のほか、大日本報徳社HP、掛川市HPを参考としました。



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